湯川遥菜

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右が湯川 遥菜

湯川 遥菜(ゆかわ はるな)とは、2014年8月にシリア北部アレッポで武装集団に拘束された42歳男性である。

本来の名は「湯川 正行」だったが、自分で男性器を切除し、その後「遥菜」に改名した。

シリア拘束の湯川遥菜氏。事業失敗、妻の死、自殺未遂…渡航の背景を父が激白

シリア北部アレッポで、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束されたとみられる湯川遥菜さん(42)の消息がいまだ不明のままとなっている。

そんななか、千葉県内に住む父親の正一さん(74)が取材に応じ、揺れる胸中を激白した。事業の失敗に妻の死、自殺未遂。シリア行きは、多くの挫折を経験した湯川さんにとって再起を賭けた「人生のラストチャンス」だったという。

「6日に電話で話したときには『お盆明けには帰る』と言っていたのに…。今はただ1日も早く元気な姿で帰ってくることを願っています」

千葉市花見川区の自宅で取材に応じた正一さんは、苦渋の表情を浮かべて言葉を絞り出した。外務省からの連絡を受けたのは2014年8月17日。次男の湯川さんが渡航先のシリアで武装勢力に身柄を拘束された疑いがあることを告げられた。

現地から伝わる情報はごくわずか。時間がたつごとに焦りだけが募っていく。生死さえ判然としないわが子の安否を気遣いながら、「息子がこれほど世間を騒がせるようなことをして本当に申し訳ありません。親として、教育の部分で足りない部分があったのか、と反省しています」と複雑な心情を吐露した。

2014年1月、東京都江東区で「国際民間軍事業」「国外警護」などを主事業とする「民間軍事会社」を立ち上げた湯川さん。活動実績はほとんどなかったが、日本でのその肩書が今回の災難を招いた可能性もある。経験不足も指摘されていたが、なぜ無謀な挑戦に及んだのか。

「出発前、彼は『これが人生のラストチャンスだ』と言っていました。もともと、国際問題に関心がある様子もなかった。向こうで、事業の展望を開こうと思っていたのではないでしょうか」

正一さんによると、湯川さんは、千葉県内の高校を卒業後、20歳過ぎで習志野市内にミリタリーショップを開業した。2000年に常連客だった女性と結婚。千葉市内に2号店をオープンさせるなど事業は順調だったが、2005年に暗転する。

「店が潰れて莫大な借財ができた。借金は、私が方々かけずり回って返済しましたが、彼は夜逃げ同然に姿を消してそれからすっかり疎遠になってしまいました」

2010年、湯川さんの妻が肺がんにかかったことを知った正一さんは、入院先の病院を訪ねたが、そこでもわが子と顔を合わせることはなかった。

その後、湯川さんの妻が亡くなり関係は断絶。親子の縁が戻ったのは、2013年12月のことだった。

「突然、実家にやってきたんです。そこで名前を『正行』から『遥菜』に改名したことを聞かされた。『知り合いに短命な字画だと聞いたから』と言っていました。自殺を図って局部(男性器)を切り取ったことも知りました。生活の部分で、限界を感じていたのでしょう。親としてそのまま放っておくことはできなかった」

正一さんは、2014年1月、実家近くのアパートで独り暮らしを始めた湯川さんから新事業についてのプランも聞かされていた。

海賊からタンカーを護衛したり、海外法人のサポートをする仕事だと言っていました」

会社の実績作りのために「シリア行き」を計画していることも明かしていた湯川さん。4月に最初の渡航を果たし、今回が2度目だった。

正一さんは、「最初の渡航時には成田空港までタクシーで送って『腹をくくって行け』と言って送り出しました。帰ってきたときには、『現地の人と親しくなった。歌も一緒に歌った』と目を輝かせていた。友人が少ない子でしたが、あちらでは必要とされているという実感を持てたのでしょう」と振り返った。

人生の再出発を賭けて赴いた紛争地。そこで出会った人との縁が、湯川さんを危険な最前線へといざなったのか。

民主党・有田芳生議員が、湯川遥菜さんと田母神氏が写っている写真をリツイートし批判される

中東・シリアで、日本人と見られる男性が現地のイスラム教スンニ派過激組織・ISISによって拘束、監禁されている事件で、ある日本人ジャーナリストがわざわざISISに対して、この男性の素性について確度の不明な情報をtwitter上で提供、男性の命をさらに危険なものにしたとして批判を浴びている。

また、このジャーナリストのツイートで終わることなく、民主党有田芳生議員までもが、元航空幕僚長田母神俊雄氏と被害者と思しき男性のツーショット写真をリツイートしたことで、さらに男性の状況を深刻なものとすることに。

田母神氏によると、この画像はファンサービスの一環だったようで、「彼との写真は私が何千人かと撮った写真の一枚」とのことだが、田母神氏は海外でもその存在を知られているだけに、件のジャーナリストのみならず、有田議員についても、「なぜこのタイミングでそんなことをするのか」「日本人が首を切られて喜んでるような奴が国会議員とか狂ってる」「有田芳生がISISのツイッターを自慢げにリツイートしてるけど何考えてんの?」と激しい批判が殺到している。

現在のところ、男性の素性に関する正確な情報も、その安否についても不明な点が多く、また、現在進行中の事件であるだけに、迂闊には言及できないが、そうした緊迫した状況のなかで、インターネットを利用してこうした発言をすることで、男性の命がさらなる危険に晒されるであろうことは明々白々。

シリアで拘束された民間軍事会社社長が犯した致命的なミスとは

8月18日、「中東シリアで、イスラム武装組織に日本人傭兵が拘束される」という耳慣れないニュースが飛び込んできた。拘束された湯川遥菜(ゆかわはるな)氏は「PMC」、いわゆる民間軍事会社の社長と自称しているが……彼はいったい何者なのか?

湯川氏がイスラム武装組織「イスラム国」(以下、IS)の兵士に尋問されている映像が「YouTube」上にアップされたのは8月17日のこと。

動画の中で湯川氏は名前を名乗り、「私は、カメラマンで、ジャーナリストだ」と話す。だが、ISの兵士は「カメラマンはこんな格好をしていない。なぜ銃を持っている?おまえはFSA(自由シリア軍)の兵士か?」と追及。湯川氏を敵の兵士だと疑うIS兵と、それを否定し続ける湯川氏の問答は約2分間続き、そのまま動画は終了した。

今、シリア北部ではISとFSAの反政府組織同士による泥沼の闘争が続いている。そんな危険地帯で拘束された湯川氏だが、彼のことを知る玩具銃(モデルガン)業界関係者は言う。

「もともと千葉にあるミリタリーショップの経営者でした。2003年頃は専門誌に広告を出すくらい有名な店です。安価な中華製のエアガンを業界でもいち早く取り扱って売り上げを伸ばしましたが、店舗の移転先で他店との安売り合戦に巻き込まれた。競争に敗れたその店は2004年末頃に営業を停止しています」

それから約10年。今年の1月、湯川氏は「PMC JAPAN」という会社を設立した。そもそもPMCは危険地帯における要人や施設の警護、現地民への軍事教育、国の正規軍に代わって海外で戦闘を行なうなど軍事サービス全般を取り扱う「民間軍事会社」の略称だが、湯川氏はそれをそのまま社名にしたわけだ。

「Haruna Yukawa」で登録されている彼のフェイスブックやブログには、紛争地で自動小銃「AK47」を試し撃ちしたり、殺害された兵士を撮影した動画が多数貼りつけられている。

そして今年4月、シリアで知り合った日本人ジャーナリストに「設立した民間軍事会社はできたばかりで実績がない。経験を積むためには現場を見なくてはダメだ」と語ったという。

彼のブログを読むと、一時日本に帰国。7月下旬に再び単身でシリアの紛争地に向かったことがわかる。アフガンミャンマーなど紛争地で傭兵として活動した経験を持つ高部正樹氏は言う。

「湯川氏がIS兵に尋問されている動画を見ましたが、本名を名乗ってしまったことは致命的なミスです。ISはすぐに検索エンジンで調べたのでしょう。フェイスブックのアカウント名がローマ字表記なので、すぐに彼のページを見つけたはずです」

今年3月にISを取材した報道カメラマン、後藤徹氏はこう話す。

「彼らは現地に住む民間人に手を出すことは基本的にはありません。しかし、外国人が許可なしにISが制圧している地区に入れば確実に拘束され、最悪の場合、殺害されます」

湯川氏のフェイスブックにはFSA兵たちとくつろぐ写真も掲載されている。

彼は小銃を持って戦地に赴き、ジャーナリストと嘘をつき、FSAと交流があった。当然、ISとしては“敵”と考えるだろう。彼が実績づくりのために行なったことが、すべて裏目に出てしまったのだ…。

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