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'''イラク人質3馬鹿'''とは、2002年からの[[イラク戦争]]に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国していた反日反米活動家の日本人を誘拐・拘束し、[[自衛隊]]の撤退などを求めた一連の事件。これは米軍の[[ファルージャ]]攻撃以後頻発した、数ある外国(非イラク)人拉致事件の一部である。
 
'''イラク人質3馬鹿'''とは、2002年からの[[イラク戦争]]に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国していた反日反米活動家の日本人を誘拐・拘束し、[[自衛隊]]の撤退などを求めた一連の事件。これは米軍の[[ファルージャ]]攻撃以後頻発した、数ある外国(非イラク)人拉致事件の一部である。
  
「イラク三馬鹿事件」とも呼ばれる。また、[[高遠菜穂子]][[今井紀明]]、[[郡山総一郎]]らを「イラク三馬鹿トリオ」という。
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[[イラク3馬鹿事件]]」とも呼ばれる。また、誘拐された[[高遠菜穂子]]、今井紀明、郡山総一郎の3人を「イラク3馬鹿トリオ」という。
  
 
== 事件大要 ==
 
== 事件大要 ==

2020年1月15日 (水) 23:04時点における最新版

イラク三馬鹿トリオ

イラク人質3馬鹿とは、2002年からのイラク戦争に関連して、2004年にイラク武装勢力がイラクに入国していた反日反米活動家の日本人を誘拐・拘束し、自衛隊の撤退などを求めた一連の事件。これは米軍のファルージャ攻撃以後頻発した、数ある外国(非イラク)人拉致事件の一部である。

イラク3馬鹿事件」とも呼ばれる。また、誘拐された高遠菜穂子、今井紀明、郡山総一郎の3人を「イラク3馬鹿トリオ」という。

事件大要[編集]

当然、日本政府は無視できないので救出に尽力、結果、救出に多額の税金が投じられることになった。にもかかわらず、無事に帰国しても彼らは日本国民に感謝することなく、反日活動を継続した。

この邦人人質事件は、事件発生当時から自作自演の「狂言」が強く疑われている。

人質「誘拐」された邦人は以下の三名で、これを「イラク三馬鹿」という。年齢はいずれも当時。

  • 郡山総一郎(32) ‐ フォトジャーナリスト =東京都杉並区高円寺南5ノ37ノ19―101=
  • 高遠菜穂子(34) ‐ イラクでのストリートチルドレン支援活動家 =北海道千歳市上長都1058=
  • 今井紀明(18) ‐ 「NO!!小型核兵器(DU)サッポロ・プロジェクト」メンバー =札幌市西区宮の沢2条2ノ3ノ24=

また、同時期に次の反日反米活動家二名も「誘拐」され、上の三名と同時期に開放されている。

  • 安田純平(30) ‐ 人間の盾(2015年6月にはシリアにおいてもヌスラ戦線と思われるテロ組織に拘束され、現在も消息を絶っている)
  • 渡辺修孝(36) ‐ 「米兵・自衛官人権ホットライン」メンバー

イラク現地の武装勢力が、イラクに入国した外国籍のボランティア、NGO職員、民間企業社員、占領軍関係者などを誘拐する事件が頻発した。誘拐の要求の多くは、誘拐した外国人を人質に、彼らが本籍を置く政府に対して、自国の軍隊(日本では自衛隊)をイラクから引き上げることを要求するものであった。

被害者がボランティアを目的として入国したとすることについて、その内容の実際が、人質の一人である30代独身女性・高遠菜穂子が個人的に自宅アパートで行っていた10代の男子に限定した物資の提供等であったり、高校を卒業したばかりの海外渡航未経験の未成年者による劣化ウラン弾の絵本書き(なお、この者は出版未経験者であった)のための取材がメインであったことがわかるにつれ、ボランティアとは何かとの論争を起こすきっかけともなった。

メディアの内側においては、一部新聞社が被害者宅の正確な住所を報道したり、報道陣が被害者宅に大挙して押し掛けたことについて、被害者宅すぐそばに練習グラウンドがあるJリーグチームが驚いたとの報道を行ったため、被害者宅が特定された。そのため被害者宅へ手紙や電話・FAXが集中したことや、少なからぬキャスターが批判派・擁護派の一方を肩入れするような報道を行ったりしたことが、報道被害や報道の公正という観点から問題にもなった。

また各メディアの世論調査の数字の異なり(往々にして、メディア各社の報道姿勢に沿った数字が出された)などから、インターネットにおいては、2002年のサッカーワールドカップの日韓共催から始まったといわれる大手メディアの報道姿勢への非難が再燃した。

最初の事件の被害者3名のうち2名が北海道在住であったことから、被害者家族に北海道庁が東京事務所での便宜供与を行い、このため同事務所の電話回線が混雑し通常業務が円滑に働かなくなったり、職員(地方公務員)の残業手当等を含め北海道に相当の額の出費が強いられるなどの影響が出た。そのため、地元北海道では一般道民からの厳しい批判がなされ、地方自治体とボランティアの関係についての一石が投じられる形になった(九州出身の被害者については出身県庁が積極的な便宜を図らなかったためこのような論議は起こらなかったが、後に全国的に地方自治体とボランティアという形で議論がされた)。

なお、この事件に当たっては、週刊文春2006年11月2日号に掲載された作家麻生幾が執筆した記事によると、海上自衛隊特殊部隊である特別警備隊員をバクダッド駐留米軍に派遣し、米軍部隊との合同で突入・救出する「バビロンの桜」計画が立案されたとされる(結局実行されることはなかった)。

事件の影響[編集]

日本の被害日本国、つまり1億数千万人の日本国民全員が被った被害は、以下の通りである。

  • 救出の費用(税金) 20億円
  • ヨルダンからの債務免除要請額 2000億円
  • 株価暴落による損失 13兆円
  • 3人がイラクで得た自己満足 Priceless
  • 国民一人当たり13万円程度の損害を被ったことになる。

当時の論調仮にも誘拐なのだから多少は同情論があってしかるべき所、当時一般人からの同情は皆無。国民の99%は自業自得と考え、人質および人質家族に対して日本中から批判が集中し、自己責任であるとの論調で溢れた。

その理由は、この人質家族の言動に大いなる問題があったからである。

政府には国外においても自国民保護に全力を尽くす義務があり、彼らにどのような過失があったとしても同様である。

しかしそもそも、憲法22条で日本人は完全な渡航の自由が認められており、政府は法的に渡航の禁止勧告は出来ない。これゆえ政府は危険であれば「退避勧告」を出し国民に自発的な避難を求める。日本国民にもそれは周知されていた。

だが彼らは勧告を無視してイラクに入国し、そしてこのような結果になった。問われるべき政府の責任は何もなく、結局は自己責任であり、さらには制止しなかった人質家族にも幾ばくかの連帯責任がある。それでも日本国政府は全力を挙げて彼らの保護・救出活動をした。

政府は、さすがに自業自得とまでは言わぬまでも自己責任であることを主張。そして今回ばかりは反日一辺倒のマスコミも、国民の反感の空気を読んで自己責任論を擁護し、人質らに同調しなかった。

家族家族の主張人質家族は事件報道の翌日朝、東京に集まってマスコミを集め「人質救出のためには自衛隊撤退以外にありえない」との主張を繰り返し、イラクからの自衛隊撤退を要求した。政府はもちろん応じなかったが、それに対しても「見殺しにするつもりか」などの非難を続けた。

また、あらゆる手段での解決を要求しながら、米軍特殊部隊突入などの米軍の協力は拒絶を続けた。米軍に潜入されると困る何かがあることは明白で、手段を選り好みしていることは誰の目にも明らかだった。

そのような状況で、自分らの責任を棚に上げて「政府の責任」「自衛隊を派遣したせいだ」などと叫び続けるのは、誰が見ても納得致しかねる論である。また、自衛隊派遣つまり人的国際貢献は国民から賛同されていることでもあり、それをたかが数名の意見でねじ曲げようなどというのは、明らかに出過ぎた態度であった。

家族は同情論で国民の支持を獲得し、自衛隊撤退などの反日反米イデオロギーに基づいた政治活動を目論んだようであるが、国民はこれを支持せず、むしろその呆れた態度に憤慨したのである。

家族の政府に対する要求はエスカレートする一方、犯行グループに対する非難は全くなかったことも、国民に疑念を抱かせる主因となっていた。人質を道具に使った政治活動にしか見えなかったのである。

家族の「行動」そもそも、日本国内で事件が報じられ、3人の名が全国に伝えられたのは2010(平成22)年4月8日21:00頃と夜遅い。

にもかかわらず、北海道と宮崎県に住む「今まで合ったこともないはず」のこの3家族は、翌日には東京で合流してマスコミを集めて会見を開き、また同時に支援団体が署名活動を始める、などという、極めて手際のよい、奇怪な行動を取っている。

またその支援団体も、極左過激派、人間の盾、プロ市民といった、およそ一般人とは相容れない人々であった。

これら状況証拠から、事前の準備が強く疑われることになった。

8日ぶりに開放され、マスメディアの前に姿を現わした三名だが、その態度の悪さから、「三馬鹿」の名が決定的となった。

高遠菜穂子に至っては、飴玉を舐めながらインタビューに応じるなどしたことから、彼女の蔑称は「アメウマー」となった。

こうして戻ってきた彼らだが、カメラ、時計、パソコン等の金品一切は奪われることなく戻ってきた。誘拐犯が本当に盗賊なのであれば、このようなことは極めて考えにくい。

また身なりはきちんとしていたので、服の洗濯や入浴など含め、衣食住は完備されていたものと思われる。身代金目的であるならば、人質に対してそこまでの手厚いもてなしがあるとも考えにくい。

このようなことから、この事件は自作自演の「狂言」であろうと、強く疑われる結果となっている。

実際にイラクで拉致され、首チョンパにされ殺害されてしまった香田証生とは雲泥の差である。

「自作自演」[編集]

概要[編集]

2004年4月に起きた最初の事件直後から、2ちゃんねるなどで「犯行グループと組んだ自作自演」とのデマが流れた。2ちゃんねるで「自作自演」説が出るのは珍しくないが、この事件では政府自身も自作自演、あるいは日本共産党新左翼の関与を疑った。事件当時、当選1回の複数の自民党議員が、記者に「あの人質事件は奴らの狂言らしいですよ!」と公言した。自民党議員の情報源は、外務省公安警察であった。常岡浩介によると、「自作自演」と判断したのは、警視庁公安部外事課であった。

警視庁は事情聴取で、「自作自演」を前提に話を進めようとしたが、立証することはできず、被害者3名はもちろん逮捕されていない。

被害者のカウンセリングに当たった斎藤学医師は被害者について、PTSDになる可能性が強いとして、インタビューに応じさせなかった。このため、今なおこれを根拠に自作自演を主張する者がいる。なお、PTSDにより日本のメディアに釈明ができないと主張した人質被害者のうち、30代独身女性は外務省の渡航自粛勧告を無視してすぐにイラクに再入国し、その後自分のボランティアの正当性を主張する記事を北海道新聞をはじめとする数社の新聞社に載せている。同じくその後イギリスに渡航した未成年の10代男性もBBCなど外国報道機関には自己の正当性を主張しており、2007年発行の雑誌『AERA』においても手記を寄せているが、事件内容については依然明らかではない。また、中日新聞により、女性NGO職員が犯行グループと接点があった可能性があった事が報道されている。

「自作自演」説の根拠[編集]

以下は、一部を除きネットで自作自演の根拠として挙げられたものである。

  • 解放宣言時、現地ではメディア記者ですら使えないファクシミリが使われていた
  • 3人が捕まってからわずか1日でビデオをCD-Rに落としホテルや放送局に配布という手際の良さは不自然である。また、ビデオカメラはSONY製である可能性が高く、CD-Rが敵対国のイスラエル
  • 現地テロリストに見合わぬ装備を使用している。安価なカラシニコフ(AK47)ではない。イタリアベレッタ・M70説もあるが裏付けは取れていない
  • PR売名ビデオにするには『余りにも武装が貧弱』
  • 犯人とされる人物が纏っている黒い衣装はシーア派民族の衣装であるにも関わらず、開放宣言には「スンナ派聖職者(名前も不明である)の説得に応じた」と書いていた(スンナ派とシーア派は別宗派である為、聖職者が直接別宗派の者を説得する事はまず有り得ない)
  • 現地では高額なスニーカーを履いている
  • 3日以内に自衛隊撤退の決断をせよ、ではなく、撤退せよ、と要求している。しかし約800人もの部隊を3日で撤収せよというのは現実的に不可能な要求である。明らかに不可能な要求をするのはなぜなのか
  • 米英に対する憎悪が語られているにも関わらず、米英に対する要求は一切無い
  • 日付がイスラム暦ではなく西暦になっている(しかも 年/月/日という日本的な表記)。 「アッラー・アクバル」と言うような者がアラビア語で手紙を書いたのに「イスラム暦の日付がなくて西暦のみ」というのは不自然。なお、革マル派は西暦について、「米諜報機関やその出先としてのPMC(民間軍事会社)、イスラエル・モサッドなどの関与さえをも推測しうる」と主張した。
  • 人質焼殺の期限は犯行声明を放送してから3日であったが、なぜかアル・ジャジーラは放送してしまった。放送せず秘密裏に日本政府に映像を渡せば、期限はいくらでも延ばせたはずである
  • 日本の歴史と現在の情勢を非常によく知っている。フジテレビ和田圭は、犯行グループが解放宣言で広島長崎原爆投下に触れたことについて、「本当にイラク人がこんな事を言うのか、と政府内でも皆あきれている」と疑問を呈した
  • 被害者の一人が、自作自演をほのめかす「ヒミツの大計画!」なる書き込みを身内の掲示板でしていた。細田博之官房副長官(当時)は4月9日、この書き込みについて「ネットに書き込みがあったようだが、いつ書かれたんだか、本人のものなのかどうかも分らない。イラクに行きたいという人が書くんだから、どうしようもない」とコメントした。
  • ムジャヒディンたちは手放しで三人を褒めたたえた。彼らは「人質」ではなかった
  • 犯行グループがアル・ジャジーラなどに送りつけられたテープの未放映部分に、人質の一人がナイフを突き付けられ、『ノー・コイズミ』と叫ぶ前に、何者かが『言って、言って』と、日本語で発言を促すような音が録音されていた

2004年4月、日本人3名[編集]

概要[編集]

以下の出来事は全て2004年のものである。また、最初の3名に関するもののほか、時期的に重なっている2名(次項で解説)の出来事も含む。

  • 3月31日 - ファルージャで武装した米国警備会社の社員4人が殺害された。
  • 4月6日 - 米軍が報復としてファルージャ攻撃を開始する。
  • 4月6日 - 外国人拉致事件の最初の事件が発生する(拉致されたのはイギリス人)。
  • 4月7日 - イラクで日本人3名(ボランティアと称する女性、フリーカメラマンの男性、ジャーナリスト志望の未成年の少年)が武装勢力によって誘拐される。
  • 4月8日 - カタールのテレビ局「アルジャジーラ」が犯行グループから送られてきた映像を放送した。犯行グループは、イラクのサマーワに駐留している自衛隊の撤退を要求する声明を発表した。犯行グループからの要求に対し、日本政府は自衛隊を撤退させる考えのないことを表明。
  • 4月10日 - 小泉純一郎首相は、自衛隊を撤退する意思がないことを明らかにするとともに、人質の救出に日本政府として全力をあげるよう指示を出した。また、人質となった日本人3人の家族が東京でアルジャジーラの取材に応えて人質解放を訴え、その映像が中東全域に放送された。
  • 4月11日 - 武装グループからアルジャジーラにあてて、「イラク・ムスリム・ウラマー協会の求めに応えて3人の日本人を24時間以内に解放する」との内容のファックスによる声明が届き、日本では一時楽観ムードが漂ったが、期限内の解放は実現されなかった。
  • 4月13日 - イタリア国籍の4人が別の武装グループに拘束され、自衛隊に続いてイタリア軍に対してイラクから撤退が要求された。この間、外国人の人質事件が相次ぎ、占領行政を行う連合国暫定行政当局(CPA)の発表では12か国、40人前後が人質に捕われたとされる。
  • 4月14日 - 新たに、日本人2人(自称ジャーナリストとNGO団体職員)がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された。
  • 4月15日 - 日本人3名はイラク・イスラム聖職者協会の仲介もあり無事解放された。解放された3名は今回の犯行グループ名と思われる「サラヤ・ムジャヒディン・アンバル(アンバル州の聖戦士軍団)」と署名されていた犯行グループの声明文を所持していた。なお、後に解放の仲介をしたとされる地元有力者が殺害されている。
  • 4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人がバグダード市内のモスクで解放された。

2004年4月、日本人2名[編集]

概要[編集]

フリージャーナリストと称する日本人2人がイラクの武装勢力に拉致された。この際の報道は前回ほど活発ではなく、ほどなく解放された。

人質となった被害者の一人は「人質である自分たちを助けるために政府は自衛隊を撤退させるべきだった」とし、後に「自衛隊を撤退させなかった事」に対し損害賠償を求める訴訟を起こしたが全面敗訴。また、解放後日本政府が負担した日本への帰国費用について、支払いを拒否している。

2004年10月、日本人1名[編集]

概要[編集]

バックパッカーとしてニュージーランドからイスラエルを通じイラクに入国した日本人の青年が行方不明となり、10月24日、彼を拉致した犯行グループ「イラクの聖戦アルカーイダ組織」の声明がインターネットに公開された。小泉首相は即座に「テロに屈することはできない。自衛隊は撤退しない」と表明した。入国時に彼を目撃していた地元の人は「ヒッピーのような格好でかなり目立っていた」などとマスコミのインタビューに答えていた。

30日(日本時間31日)、首を切断された遺体が発見され、後日になって殺害の模様が公開され、その後その動画がインターネット上に流布する事態となった。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」「彼の死を政治的に利用しないで欲しい」と言う声明を発表した。そのため、最初の人質3人のようなバッシングは起こらず、マスコミも比較的淡々と報道した。

イラク日本人青年殺害事件参照。

2005年5月、日本人1名[編集]

概要[編集]

5月9日、イラクの武装勢力「アンサール・アル・スンナ軍」がイギリス民間軍事会社職員の日本人と銃撃戦の末拘束したとの声明を発表した。5月28日、武装勢力は日本人の死亡をネットに発表した。

日本人を狙った計画的誘拐ではなく、戦闘で負傷し捕虜になったものであったため、テロリストから日本政府への要求は無いに等しく、それへの対応を巡って世論が割れる事も無かった。

資料[編集]

関連文献[編集]

  • 今井紀明『ぼくがイラクへ行った理由(わけ)』コモンズ、2004年7月。 - ISBN 490664080X
  • 今井紀明『自己責任 いま明かす「イラク拘束」と「ニッポン」』講談社、2004年8月。 - ISBN 4062125463
  • 郡山総一郎、吉岡逸夫『人質 イラク人質事件の嘘と実』ポプラ社、2004年9月。 - ISBN 4-591-08274-1
  • 佐藤真紀、伊藤和子編『イラク「人質」事件と自己責任論 私たちはこう動いた・こう考える』大月書店、2004年7月。 - ISBN 4272210807
    • コメント・メッセージおよび執筆者: 今井紀明、伊藤和子(弁護士)、鎌仲ひとみ(映画監督)、高遠菜穂子、田中宇ら36名
  • 高遠菜穂子『愛してるって、どう言うの? ―生きる意味を探す旅の途中で―』文芸社、2002年6月。 - ISBN 4835540743
  • 高遠菜穂子『戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』講談社、2004年8月。 - ISBN 4062125412
  • 『法学セミナー』日本評論社、2004年9月号「イラク人質事件・日本人対"世間"の法感覚 ――グローバルとローカルのはざまで」 - ISSN 04393295
    • インタビューおよび執筆者:岡田順太、天木直人、加藤健二郎、佐藤直樹、矢野直明
  • 小林よしのり『ゴー外!! 1 翻弄されない視座をもつ 小林よしのりの痛快“こき下ろし”SPECIAL』アスコム、2004年8月

関連項目[編集]